人間教育としての海洋教育

 私は、青少年に、仲間とのチームワークが人生には必要だという体験や、自然の中で生かされているということを体感して分からせる教育が海でできると考え、人間教育としての海洋教育を1979年〜2004年の間、高専教育の中で実施しました。私が定年退職した今でも、引き継がれて実施されています。内容の詳細は別の機会に紹介したいと思っています。成果は学生の感想文に見ることが出来ます。「泳げたが流されて体力の限界だった」、「自信が芽生え」、「はじめてクラスがひとつになれた」、「他ではできない貴重な体験だ」、「座学では得られない現実感が得られる」、「高所恐怖症なのでデッキに立つと足がガクガク震えた」、「無理だと思っていたことが出来た達成感が忘れられない」、「自然の力の大きさや仲間と一緒にいる心強さを感じた」と言っています。こういう成果は、ほぼ毎回同じ傾向を示していました。


 私は、漕艇部顧問としても、海洋教育の視点から長い間指導をしてきました。カッターレースでは、クルーの息が合ってこそカッターは海上を滑るように進み成果も出ます。海では「運命共同体」という意識が共有されます。また、大自然に抱かれ、風の力だけで操るヨットの性能目一杯に大海原をかけ抜けるとき、人間はいわば「自然と一体になる」という感覚を覚えると思います。このとき、海を「場所」ではなく、「相手」と感じるようになり、海に親しみを感じ大切にしようと思うようになります。また、子供が母親の表情を読むように海がこれからどのように変化しようとしているのかを察知し、それを信じて自分の身を投げ出して海に精一杯対応します。そうしないと大変なことになります。海も一変して、怖い存在となるからです。このように、海が人間にもたらす教育性は、自然と人間、人間と人間の正常な関係、緊張感、行動力、集中力、協調性、謙遜、遵法精神等であると思われます。

外国の海洋大学と日本の海洋

 私は、外国の多くの海洋大学に行って、これからの海洋大学構想を練る仕事にも携わってきました。1996年8月〜10月の文部省短期海外研究員90日では、単身、スウェーデン、ノルウェイ、ドイツ、オランダ、イギリス、アメリカの著名な海洋大学を訪問しました。定年退職後の最近にも、フィリピン、ベトナム、インドネシア、韓国、中国の著名な海洋大学にそれぞれ短くても1校1週間ぐらい滞在し、施設、授業等を見てきました。外国の海洋大学は意外にも日本の海洋大学を褒めてくれました。それは、基礎的な学力が高く、範囲も広いとのことでした。外国では、施設や高価な教育ツールが十分に備わっており、軍隊教育的な部分も残っているように見受けられました。

 しかし、若干マニュアル的な教育に近い部分も感じました。 今、日本では、一般大学卒業生から海技者の希望者を海技大学校に集め、2年間教育して育成しようとする制度が発足しました。私は、日本の大学教育の基礎力の高さや深さや広さを活かしたものと考え、この制度が順調に発展することを望んでいます。船員も出来るし、営業、経済、管理に強く、経営的なセンスも持っていると日本の大手の船会社は歓迎しています。船における船長は、自動車、列車の運転手とは質が違うものなのです。海運の歴史を学べばそれが分かりますが、昔の船長は商売をしながら航海を続けていたのです。昔の商船大学を工学的な海洋大学に特化することを促進しなくてもよいと考えています。

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