ハワイ・コナで再会したの仲間

 6月、久しぶりに、ロサンゼルス経由でハワイを訪問。ハワイ島では、懐かしい旧友、海の仲間たちが元気で活躍していました。彼らの名前はチャック・フルーメン、ガブリエル・レーゲ、スティーブ・ピルモア、それに日本人の富士谷カズナリさん。13年前、全米各州で、私と一緒に「釣り」や海洋ビジネス、海洋プロジェクトをやっていた海の強者(つわもの)たち、キャプテングループの面々です。キャプテン・カズナリの案内で、各地のマリーナや、彼等の自宅や工場、ビジネス拠点等を訪問しました。   チャックは、1980年代、カリフォルニア州のサンディエゴで、ボートを運営して大活躍していたキャプテン。夏の間、ボストンでジャンボマグロ釣りを一緒に挑戦した仲間です。彼はその頃とまったく変わりなく、当時のグロースターでの思い出が懐かしく浮かんできました。2000年頃になって「レネゲード」という40フィートサイズのチャーターボートをハワイ島で買収した際、彼にそのボートキャプテンを依頼しましたが、快く引き受けてくれました。その時以来、今日までハワイ島のコナに住んでいる、温厚でまじめな夫妻です。 スティーブは、1 9 9 0 年頃から長い間、私がニューョーク地域でのストライプトバス釣りに熱中していた時の釣り仲間です。彼は、私たちの会社が、ハワイで、「コナ・コンセプト」というハワイ随一のチャーターボートを購入し運営し始めた時に、白羽の矢が当たり、そのボートのキャプテンとしてハワイに移住してきた、優秀なキャプテンです。今は、「コナ・コンセプト」を売却し、別のボートのキャブテンをしています。 ガブリエルも、ボストン・グロースターでマグロ釣りキャプテンをした強者で、当時の仲間です。私たちは毎年、マグロの集まる時期の7月から9月にかけて、全米各地からグロースターに集まってジャンボ釣りに挑戦しました。私はフロリダのジャクソンビルか ら、彼はカリフォルニアのロサンゼルスから来ていましたが、通常、彼はロサンゼルスで48フィートのボートキャプテンをしていました。
 ガブリエルは、ボートでの訓練が、青少年の訓練教育に非常に効果的であることを知って、ロサンゼルスから南にあるロングビーチという町の青年たちを、ロス沖のカタリーナ島に連れて行き、その島で40日間泊まり込みの海洋訓練を始めました。ロングビーチ市はギャングで有名な町です。所謂、ギャングの子供をギャングにしないための「ギャング・プリベンション・プログラム」(ギャング防止プログラム)をガブリエルは始めたのです。当時ニューヨークにいた私も毎回参加して一緒に働き、彼のプログラムを助けたもの でした。 ボートによる訓練は非常に効果的で、ロングビーチの学校は大歓迎で協力を惜しみませんでした。最初、茶髪はじめ色とりどりの髪型をした青年たちが、40日の訓練が終わる頃には、クリーンカットして爽やかな若者たちに変貌していきました。当時40代後半だった私も、ロサンゼルス沖の海で、ギャングの子供たちが、海で本当の自分を見つけ出していく様子には感動しっぱなしでした。海という大自然が、若者たちを人間らしく変えていったのです。そんなガブリエルも、ハワイで52フィートのチャーターボートを始める時、キャプテンとしてハワイに移住してくれました。 カズナリさんは、1 9 9 0 年代前半から、私がニューヨーク、ニュージャージ地域を拠点に、ボート製造販売事業など、海洋趣味産業を展開していた時の、釣り部門三羽ガラスの中の一人です。2004年に、私が南米プロジェクトをスタートした時、彼はハワイに移動し、それ以来、ハワイでチャーターキャプテンとして中心的に活躍しています。 実は2000年代に入って、私は10隻の28フィートボートをハワイに輸送して、ハワイでのボート販売を始めました。更にオーストラリアやマーシャル諸島やソロモンアイランドなど、他の環太平洋島嶼国にも拠点をつくろうとして、日本から若いメンバーを募集しハワイで訓練しましたが、殆どやめてしまいました。 開拓は本当に厳しいものです。やっていることの意義が本質的に分かっていなければ、長続きはしません。釣りが好きなだけとか、表面的・部分的な理解だけでは、困難に出くわすと克服できず、何一つ歴史を変えることはできません。そういう意味で、30年近く 不変不屈の精神で海に行く伝統を守っている、これらのキャプテンたちは、本当に貴重な方々だと思います。今回、彼らと再会し、〝肝胆相照らす〞思いで感無量でした。私にとって、改めてハワイが懐かしく身近なところとなったのです。

© 2018

Theme by Anders NorenUp ↑